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川崎通信
十万分の一の偶然
著者:松本清張 
 1980年から1981年にかけて週刊文春に連載された長編小説。著者は1909年生まれ、1992年に逝去しているので、丁度彼が私の今の年代で発表した作品ということになる。東名高速沼津インター付近で発生した玉突き重大事故とその現場を撮影し、新聞社の投稿写真最高賞を受賞したアマチュア・カメラマン、そしてその玉突き事故で若いフィアンセを亡くした男の絡み合いを中心に、報道と救助活動の相克を扱った小説ということである。

 事故直後の臨場感溢れる作品でその賞を受けたアマチュア・カメラマン山鹿恭介。既に受賞時点で、「写真は余りに凄惨で、それを撮り新聞紙面に掲載すること」への批判と、「そこで救助活動を優先すべきであったのではないか」という議論は起こっていたが、その声はかき消されることになる。しかし、その事故でフィアンセの女性を失った沼井正平は、撮影者が偶然その事故現場に居合わせシャッターを切る幸運に恵まれた、というコメントに疑惑を頂き、写真に興味があるジャーナリストとして偽名を使い山鹿に接近。そして実はその事故は、山鹿が意図的に起こしたのではないか、という自分の推測を、彼との接触の中で強めていき、そして、撮影現場に同行させてもらいたい、という誘いで山鹿を大井ふ頭近くの櫓の上に誘い出し、そこで山鹿に「復讐」を遂げることになる。そして続いて沼井は、彼の最高賞を支えた、山鹿が師匠と仰ぐ老写真家も、千葉の寺に誘い出し、大麻で幻覚症状に陥れ殺すのである。そして「復讐」を遂げたその男も、フィアンセの命日に自らの命を絶つ決心をする。

 著者執筆の直接のきっかけになったのは、小説中でも取り上げられている1955年の紫雲丸沈没事故ということで、この時救助船に乗っていたある人々が、沈没する船に必死でしがみつく子供たちを助けることなく、写真を撮っていたという事例であったという。しかしこの作品では、それ以上に、アマチュア・カメラマンが、名誉心と金銭欲から、それを自ら演出するという、偶然の出来事ではなかったのではないか、というところまで踏み込んでいる。そしてその真実を探ろうとする沼井と山鹿の夫々の思惑に満ちた会話がなかなかスリリングに展開されることになる。ただ、最後は、山鹿自身が認めることのないまま彼を殺すと共に、彼の師匠までも「復讐」の対象にしてしまうのは、やや安易な筋書きであった。特に師匠の殺人は、大麻による幻覚作用の説明が延々とあった後、それが効果を発揮して「復讐」を遂げるのであるが、あまりに非現実的であると言わざるを得ない。できれば、沼井の推測が正しいかどうかの結論を、例えば法廷の場で争うような展開にして、山鹿の白黒をはっきりさせるところまで描ければ、もっと面白かったと思うのであるが、それは結局明らかにされることのないまま、沼井による二つの殺人と、自死で終わらせてしまったのは、やや残念である。

 しかし、そうした不満は横に置いても、この小説が扱っているテーマ自体はたいへん興味深い。現在のネットの世界でも、閲覧数を稼ぐ(そしてそれにより経済的利益も狙う)ために、「やらせ」や「演出」、さらには「危険行為」さえも横行しつつあることを考えると、解説で宮部みゆきが書いている通り、著者がここで提起している課題は確かに現代的なものである。改めてこの作家の鋭敏な問題意識を感じさせられた作品であった。

読了:2025年2月9日