狙撃
著者:B.フリーマントル
チャーリー・マフィン・シリーズ第8作で原作の出版は1988年、まさに私がロンドン勤務を終えて帰国した年の発表である。そして内容的には、フルーマントルによる「ジャッカルの日」の「焼き直し」とも言える作品である。
ソ連から英国に亡命した男からもたらされた情報によると、政治的・国際的な一大暗殺計画の話が進んでいるという。チャーリー自身もその情報の真偽を巡る亡命者への尋問にも関わり、その信憑性が高まったことから、それを阻止する捜査が情報部トップのウイルソン卿からチャーリーに指示される。彼を嫌う官僚的な次長を含めた連中のやっかみと邪魔が入ることはいつもの通りである。またソ連情報部では、これも以前からチャーリーと因縁のあるKBG議長カレーニンと彼の親友であるペレンコフが、亡命者が彼らの暗殺計画が漏れたことを懸念しながらも、それを進める決断をしている。またリビアのトリポリではスラーフェというPLOのメンバーの女が、その暗殺計画に関わる様指示されている。
こうして、ソ連で暗殺者ゼーニンが、素手での殺人を含む厳しい訓練を経てこの計画の実行者として指名され、最終的な指示を受け取るべく英国に潜入する(現地大使館員との接触のためロンドンを動き回るゼーニンに従い、カムデンやプリムローズ・ヒル、あるいはピカデリーやパークレーン等の懐かしい地名が語られる)。そしてそこで英国情報部の監視網にかかりぼやけた写真を撮影されるが、彼はそれをかわしてスイスに移動する。そこが、暗殺が行われる場所のようである。そしてチャーリーは、空港関係者へのヒアリングにより、ゼーニンらしき男がヒースローからジュネーブに向けて飛び立ったとの情報を受け、彼もスイスに飛ぶのである。そこでは、米国、イスラエル、PLO等による中東和平会議が開催されることになっている。
そして以降は、ジュネーブでのゼーニンの、スラーフェとの接触を含めた暗殺準備、その会議に出席する米国大統領、国務大臣夫妻を含めた代表団の動き、そしてそこでのスイス、米国、イスラエルの情報部員を集めたチャーリーによる事件阻止の行動が詳細に語られることになる。スイス情報部は、会議での警備体制が万全であることに自信を持っていることからチャーリーの警告を軽視し、また米国CIAの関係者は、かつてチャーリーがCIA幹部のソ連への拉致を企てた危険人物として、英国に彼を担当から外すよう要求している。しかし、イスラエルやCIAの情報部員の一部は次第にチャーリーの能力を認め、彼に協力するようになっていく。そしてスラーフェの同僚の傷害事件等を経て、和平会議初日の記念撮影での狙撃が行われることになるのである。結果は、米国国務大臣とCIAトップが暗殺され、また別に至近距離から狙撃を行ったスラーフェもゼーニンにより殺されることになるが、狙撃現場へのチャーリーの突撃によりそのゼーニンも拘束されることで終わるのである。しかし、最後は、この暗殺計画についてイスラエル側は知っており、この和平を阻止するために敢えてこの狙撃を阻止しなかったという落ちが待っているのである。
ということで、外見上は風采の上らないチャーリーが、いつものように直感を駆使して暗殺計画の真相に迫っていく様子を中心に、米国大統領や国務大臣、CIAトップの夫妻等の関係者の私生活や、ゼーニンとスラーフェの情事といった飾りを交えながら楽しくかつスリリングに話が展開し、いっきに読み進めることができる。この辺りの著者の技量はいつもながら敬服させられる。そして冒頭に述べたように、私は読み進めながら、これはフォーサイスの「ジャッカル」を意識して書かれたのではないか、という思いを感じていた。フォーサイスの小説は1971年発表であるので、明らかにこの小説を書いていた際、フリーマントルはそれを意識していたことは間違いない。実際文庫の解説では、フリーマントルが、「おれならもっと巧く書いてみせる」と、真偽は別にしても呟いたという話しに触れられている。それによると、フォーサイスの「資料的部分は圧倒されるが、虚構の部分になると(フリーマントルとは)、大学生と幼稚園児の違い」が見られるということである。私自身は、「ジャッカル」の映画は観たが、(フォーサイスの他の作品は読んでいるが)この原作を読んだ記憶はないので、何ともコメントしようがないが、少なくともフリーマントルの虚構部分が面白いのは確かである。そして何よりも、英国の並みいるスパイ小説家の中でこうしたライバル心が、夫々の作品の質を高めてきたということはたいへん興味深い。フォーサイスのみならず、フリーマントル、ル・カレ、レン・デイトン等が老齢化あるいは逝去する中、この分野での英国の若い世代が生まれてきているかどうかが気になるところである。しかし、それまでにこのチャーリー・マフィン・シリーズはまだまだ続く。
読了:2025年2月24日