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川崎通信
映像の世紀 ヒトラーの隠された素顔に迫る
2025年3月24日 
 NHK製作のテレビシリーズ「映像の世紀」は面白い企画が多く、そのいくつかは私も既に取り上げているが、2025年3月24日放送の「ヒトラーの隠された素顔に迫る」もたいへん興味深いものであった。

 ヒトラーは、権力掌握時、権威を維持するため、自身の私生活はほとんど公にすることがなく、1945年4月の自殺後も、関連資料はほとんど処分されてしまったことから、それは闇に埋もれていた。しかし、唯一戦後連合軍が発見した、愛人エヴァ・ブラウンが撮影した4時間に渡る16ミリフィルムが、ドイツ南部ミュンヘン近郊の「ベルグホーフ」と呼ばれる山荘でくつろぐヒトラーの姿を残している。ヒトラー政権は4470日続いたが、その内1400日以上を過ごしたというここでの映像から、彼の私生活の一端が垣間見られるという。更に、そこに映された人々は、ヒトラーが信頼し、私的な時間を過ごすことを許した人々であることから、彼らがどのような人々であったかというのは興味深い。番組では、このエヴァのフィルムに映された485人に及ぶ人々の表情をAIに登録し、その他の膨大なナチス関連の一般映像と重ね合わせて検索することで、そうした人々を特定させるのに成功したということである。

 そこで特定された「側近」たちは、例えばヒトラーの主治医と呼ばれたモレル、パリ在住のドイツ人彫刻家アルノ・ブレッカー、ヒトラーの専属パイロット、マグダ・シナイダーといった当時の有名女優達、更には親衛隊員の若い外科医カール・ブラント等々で、夫々の逸話が紹介される。例えばモレルは、略毎日ヒトラーに各種の薬を処方していたが、それは次第に、特に1944年7月の暗殺未遂事件以降は依存性の強い「麻薬」的な強度なものになっていき、モレル自身も緊張から同様の薬物摂取に溺れていったという。また彫刻家ブレッカーは、ヒトラーのパリ占領時に知合い、かつて芸術家志望であったヒトラーの夢を叶えた人間として彼の寵愛を受けた(ブレッカーのヒトラーへの話し方もあまり屈託がない)という。若い外科医ブラントは、その整った容姿から、ヒトラーが理想のドイツ人と見做したようだが、事故が発生し外科手術が必要な場合に備え、ヒトラーは常に同行させていたという。更に彼にはヒトラーから障碍者の安楽死計画実行が指示され、彼はガス室で21万人以上を殺害したとされるが、言うまでもなく、それはその後のユダヤ人虐殺に繋がることとなる。それに関連してユダヤ人虐殺の司令塔である、ヒムラーやハインリヒも、エヴァの映像に登場することになる。こうした人々との山荘での時間が、激しい政治闘争と戦争に明け暮れたヒトラーに、短い安らぎの時間を与えたことが推測される。

 エヴァの最後の映像は、1944年6月3日、こうした人々が一堂に会した、妹であるグレートル・ブラウンの山荘での結婚式である。その翌日、連合軍はローマを奪回し、2日後はノルマンディー上陸作戦が敢行される。戦況が厳しくなる中、その後も山荘では、時折エヴァが撮った映像が上映され、ゲッペルス等が観ていた映像は残っているが、そこにはヒトラー自身は登場しないという。そして1945年4月29日、ヒトラーとエヴァはベルリンの地下壕で結婚式を挙げ、その翌日自殺。遺体は痕跡がないまでに焼かれることになる。ヒトラー56歳、エヴァ33歳であった。

 番組の最後、1945年3月のヒトラー最後の一般映像として、彼がヒトラー・ユーゲントの表彰を行うが、そこで少年がヒトラーに賞賛されている。名前はウィリー・ビュヒナー。それから40年後、彼は戦争は生き残ったが、インタビューに答え、この映像のため自分が戦後友人たちから忌み嫌われたことを語っている。独裁者の凋落と、それに伴う世相の変化はこうした幼い少年の人生も変えることになったということである。

 ということで、AIを使いながら、映像に映された人々を特定していくという試みにより、ヒトラーの私生活の一端が分かることになる。また読唇技術を持ったドイツ人女性により、無声の映像から会話内容を復元するという試みが紹介されている。更に、その読唇術で判明しない会話を、今度はAIを使い、ドイツ語の唇の動きから読み解こうという試みも行われているという。AI技術の功罪がいろいろ議論される昨今であるが、こうした技術の発展は、今後の歴史研究では間違いなく有効であろう。残された僅かな映像を基にヒトラーの私生活とそれを取り巻いた人々を紹介するという試みが、新たな歴史研究の契機となり得ることを示した、なかなか秀逸な企画であった。

2025年3月25日 記