待たれていた男(上/下)
著者:B.フリーマントル
「流出」に続く、チャーリー・マフィン・シリーズ第12作で、原作は2000年の出版である。前作で、社会主義政権崩壊後のロシアからのマフィアらによる核物質の流出をくい止めたチャーリーは、モスクワに留まり、豪勢な家に住みながらナターリャとその娘でチャーリーの子供であるサーシャとの関係も修復し、同棲を始めているが、そこにシベリアで発見された英米将校の遺体を巡る調査の指示が下る。その遺体は、ヤクーツクという、ネットでは「世界で一番寒い街」と紹介されている場所で、偶々温暖化で永久凍土が解けたために発見されたようであるが、英米将校夫々一名とロシア人らしき女性一人の3名が、ほとんど死んだ際の姿のまま残されていた。そしてそこには後頭部から銃で殺害された痕跡があり、それは第二次大戦中であったようだ。その街にはスターリンの大粛清で追放された人々が拘束・強制労働させられた収容所があり、その遺体を発見したのも、その時代にそこに移送された囚人たちの末裔である。彼らは、新ロシアとなっても、モスクワ等、他の地域に移住することは許されずにいる。そして死体は英米将校であったことから、ロシア政府に加え、英。米情報部も加えた調査が始まる。モスクワ在住のチャーリーに、英国を代表する権限が与えられるのであるが、それはロシア政府に対抗心を燃やすヤクーツク共和国指導者の思惑に加え、ロシア、そして英米双方の思惑が入り乱れる展開となるのである。上巻では、この事件の発覚から、共同捜査参加へのチャーリーへの指示に始まり、ロシア政府内でのナターリャ批判勢力との対抗や、英米調査団(特に米国調査団の中心ミリアム・ベルという美女とチャーリー)の中での駆引き、更には英米モスクワ情報部の男たちと関係を持つ、ナターリャの妹イレーヌ等も登場し進むことになる。やや冗長な展開ではあったが、終盤、見つかった英国軍人の身元が判明し、彼が、ナチスに奪われた美術品回収の任務を追っていたことが分かると、話が次第に見えて面白くなってくる。そこで下巻に入っていくことになる。
こうして、下巻。死体で見つかった英国軍人は、ノリントンという貴族の家系で、ドイツ語やロシア語も話す優秀な軍人であったというが、1945年、遺族にはベルリンで死亡し、そこに埋葬されたという連絡が届き、遺族はその墓にも何度か慰霊に訪れている。他方、ヤクーツクで、英米軍人と一緒に死体で見つかったロシア人の身元も判明し、メディアに公表されている。彼女も、エカテリーナ宮殿の美術品をナチの略奪から守るための任務を帯びていた。こうして見つかった死体は、ナチによる美術品略奪に関連した特殊任務を帯びていた人々であったことが判明する。そしてチャーリー、ナターリャ、そしてミリアムは、夫々の国で、真相を解明するべく動くが、皆それを妨げる動きに遭遇することになるのである。
話が面白くなってきたぞ、と思いながらも、そこで登場する多くの人々が錯綜し、頭が混乱して、なかなか本筋を追えない。ナターリャは、腹心を使いヤクーツクで殺されたロシア人女の息子を尋問し、彼が、母親が保管していた品々を勝手に売却した疑いで拘束している。チャーリーは、ベルリンにあるノリントンの墓を訪れ、そこでの埋葬に関わる文書を丹念に調べ、また埋められている遺体を発掘して再度専門家による検死を行うが、決定的な証拠は見つからない。ミリアムは、英国の関係者たちとの肉体関係を通じて、特にチャーリーへの批判勢力の動きについての情報を集めている。彼女は、本国の上司から呼び戻され、この仕事から外れることを告げられているが、それを無視して動くことになる。そしてロンドンに戻ったチャーリーは、ノリントンの遺族である彼の弟の屋敷を訪ね、弟が死んだ際の記憶を聴取すると共に、残されていたノリントンのベルリンからの手紙等を調べる。彼が死んだのはドイツの降伏直後の1945年5月で、ノリントンは、ゲーリングが略奪したロシア等の美術品の回収のためにベルリンに送られていたのであるが、その彼が何故ヤクーツクに向かったのは分からないままである。しかし、そこからの帰途、チャーリーは自身が何者かに狙われていることに気がつき、それを回避する行動を余儀なくされている。
チャーリーは更に、ノリントンの部隊長であった英国の老兵士にも面談し、当時の状況をヒアリングしているが、そこで当時の部隊に英国外務省から派遣され、その後外務省次官にまで上り詰めたサー・ピーター・メイソンという男がまだ生存していることを聞いている。またロシアでは、ヤクーツクで見つかった死体を検死した医師の希望を受け、彼とその家族をモスクワに戻す手続きが、チャーリーの意向を受けたナターリャの尽力で進んでいる。またそのロシアからは、墓から見つかった別の英国軍人の制服ボタンから、ノリントンが殺された際に、もう一人の英国軍人がいたという推測がナターリャを通じてチャーリーにもたらされている。そうした情報を基に、チャーリーは、残された最後の証人であるサー・メイソンの屋敷を訪ね、彼の話を聞くことになるのであるが、メイソンは、ノリントンがヤクーツクで殺されたことは全く知らない、と言い張っている。それらの調査報告を行ったロンドンの会議では、チャーリーの無能を批判する勢力の議論が強まることになる。
そうした中でモスクワに戻ったチャーリーは、ナターリャとミリアムの支援を受け、最後の賭けにでる。その鍵を握るのは、ヤクーツクからモスクワに到着したばかりの検死医師と、彼が保有していた、ノリントン死亡時の彼の父親による業務日誌である。そしてそのモスクワでは、ヤクーツクの死体で見つかったロシア女は、ロシアの美術品をナチの略奪から守った英雄であったという公式発表が行われている。そして、チャーリーは、彼を追い落とそうとする勢力にモスクワで連携している大使館所属の情報部員を罠にかける手配をした後、本部の指示を受けずにロンドンに向かうのである。
そこで元外務省次官との最後の対決が行われる。1945年、ヤクーツクの検死医のメモに出てくる、取り乱してその医師のもとに駆け込んできたと書かれている軍人がそのメイソンであり、彼はロシア女のみならず、ノリントンも、彼が持っていた英国の銃で殺したというのがチャーリーの推測である。それを聞いたメイソンはもちろん直ちに否定し、チャーリーを追い払う。その帰途、チャーリーの車はロンドン警察に拘束されるが、彼が連れてこられたのは英国外務省で、そこでメイソンを交えた最後の議論が行われる。そして、チャーリーの提示した多くの「状況証拠」を受け、最後はメイソンが涙ながらの告白を行うことになる。メイソンは確かに1945年のその時、ノリントンらとヤクーツクに赴いた。そこには、美術品略奪に関わったドイツ人囚人たちと略奪された美術品があった。しかし、メイソンによれば、それはロシア人の策略であり、呼び寄せられたメイソンはノリントらを殺すよう強要された。そしてロシア人たちは、拒絶するメイソンを無理矢理自身の銃でノリントンらを処刑したという。そしてメイソンは、ロシアが取り戻した名画の幾つかと引き換えに、戦後の英ロ外交関係の正常化のために尽力するという条件でベルリンに替えることを許されたことが告白されるのである。こうしてチャーリーはこの事件を解決し、彼の反対勢力は、モスクワで罠にかかり拘束された大使館付の情報将校を含め左遷され、チャーリーは再びモスクワでナターリャとサーシャとの生活に戻る。そこでは再び共産党が力を蓄えつつあった。
最後の最後まで、展開が見えなかったが、翻訳で下巻約300ページの最後の30ページで、このメイソンの告白により、この事件の全体像が明らかにされる。下巻に入っても、多くの関係者の思惑が入り乱れ、なかなか展開が分からずイライラする状態が続いたが、最後にこのどんでん返しを持ってくる著者の手法は、いつもながらなかなか見事である。そして最後まで、チャーリーは確証を得ること出来ないが、あくまで自分の仕事とナターリャらとの生活を守るためだけに大きな賭けを打ち、それに勝利するという展開は、彼のこれまでの作品に共通する筋書きである。それにしても、シベリアの凍土氷解で発見された遺体から、それがナチスの美術品略奪に関わる案件であるという設定は面白いが、それを巡る英米ソ連の複雑な思惑と関係者の動きは、ここに記載した基本の筋書きを別にしても、なかなか細部は理解できないところが、特にこの作品では見受けられた。それが、彼のこのシリーズの中では結構読了まで時間がかかってしまった要因であった。さすがに著者は、当初からこうした筋書きを想定していたのだろうが、その構想力と表現力には相変わらず驚かされる。続いて、この小説の最後に予告されているモスクワでの新たな事件を巡る次作を読み始めている。
読了:5月14日(上)/ 5月29日(下)