テロルの昭和史
著者:保阪 正康
ここのところの読書は、ドイツ関係か、フリーマントルのスパイ小説に限られていたことから、少し気分転換しようと思い、図書館で見つけた2023年8月出版という相対的に新しいこの新書を手に取った。著者は、時々TVなどにも出演していることで名前は聞いていたが、著作を読むのは初めてである。1939年生まれということなので、現在は80歳を超えているが、まだこうした著作を出す元気が残っているということであろう。
2022年7月の安倍元首相暗殺事件と、2023年4月の岸田首相(当時)暗殺未遂事件が、この著作の直接的な執筆動機とされているが、実際には、著者が長く研究してきた、第二次大戦に突入していく過程で発生した日本でのテロや軍事クーデターについてまとめたものである。実際、今回の二つのテロと昭和期のテロとは全く性格が異なるものであり、敢えて言ってしまえば、偶々発生した二つのテロ事件を、著者の研究や作品を一般に知らしめるために利用したと言えなくもない。ただそうした憶測は横に置いて、まずは著者の議論を簡単に整理しておこう。
まず戦前の主要なテロ事件をまとめると以下の通りである。
・1930年11月:濱口雄幸首相テロ
・1932年2−3月:血盟団事件
・1932年5月:五・一五事件(犬養首相等暗殺)
・1933年7月:死のう団事件、神兵隊事件(未遂)
・1934年11月:陸軍士官学校事件(未遂)
・1935年8月:永田鉄山刺殺事件、二・二六事件
このうちの幾つかは、権力による「でっちあげ」の可能性も残っているとされるが、いずれにしろ二・二六事件を最後に、陸軍統制派による、皇道派排除が完成し、日本の国内テロは終焉し、日本は「対外向けテロ」に邁進していったということになる。
こうした戦前のテロ事件について、著者の見方は、初期のテロ事件が、時の政権に対する「義憤」に促された無私の犠牲的行為であり、その裁判の過程では、当事者のみならず一般世論でも首謀者への同情や減刑嘆願などがあったが、それが次第に軍事政権により、「反乱」として単なる弾圧の対象となっていったということになる。著者は、それをまず彼の今までの研究や当事者へのヒアリングなどを用いて詳述しているが、その見方自体は、大昔に学習した昭和史の復習であることから、ここではそれ以上に深入りはしない。
他方、これらを今回の安倍首相暗殺等の事件と比較することは、ほとんど意味はないと思われる。戦前の軍部が台頭する中での左右両翼からのテロというのは、当時の軍事独裁政権では常態化しており、戦後、特に経済成長がそれなりに進んだ先進国家におけるそれは全く性格を異にしている。もちろん、フォーサイスが小説で取り上げたドゴール暗殺未遂事件に始まり、J.F.ケネディー暗殺から最近のトランプ暗殺未遂事件に至るまで、現代欧米社会においてもそうしたテロは時折発生しているが、それを戦間期のテロと比較しても余り意味はない。そして今回の安倍暗殺に至っては、政治的な動機が全くない、統一教会絡みの逆恨みであり、また岸田暗殺未遂事件については、そうした明確な動機は現在に至るまで明らかになっていない。この2件はどちらかと言うと、性格異常者による個人的な恨みつらみの思い込みによる単独犯行とみるのが妥当で、それを今回の参議院選挙における参政党の躍進といった「新右翼」の躍進という政治的背景に関連させる必要はないと思う。
そう考えると、この新書は、単純に戦間期のテロについての著者の研究を改めて分かり易くまとめただけの作品で、現在の大きな時代転換の象徴と見る必要は全くないと感じたのであった。
読了:2025年7月31日